ドイツ旅日記2019年春(中-北ドイツ編)(田中宏弁護士)
ドイツ旅日記2019年春(中-北ドイツ編(4月1日~4月10日))
昨年4月の事務所通信に,春のドイツ旅行記の前半(ミュンヘンの旅)を書いた。結構読まれているようで,顧問先の方や,大学で教えている学生さんから「下はいつアップされるんですか」と言われていた。事務所通信は輪番制なので,次に回ってきたときに書けばいいや。もっとも,それまでに,夏にはウィーンに行くし,また2020年春にはドイツ旅行になるから,書くことがどんどんたまるな…などと思っていた。まぁ他の弁護士はみな真面目なことを書いているので,一人ぐらい色物がいても良いだろうということで,色物はたまに出てくるくらいで丁度良いと思っていた。
ところが,今年の春は,シャイセ(ドイツ語の俗語。意味はあえて書かない)そのもののコロナウィルスのため,旅が全て吹っ飛んでしまい,とても精神的に耐えられないので,3月以降は,自分の心に重たい蓋をした状態で今日に至っている。悲しみや怒りを完全に封印し,機械のような状態で日々を送っている。そんな中ではあるが,去年の旅のこと,2019年秋の旅のこと,そして,流れてしまった今年の旅のことを書き綴っておくことも,後に何かの役に立つかも知れないと思ったので,やっと,重い腰を上げて,まとめておくことにした。
一 ミュンヘンからベルリン中央駅へ-壁崩壊から30年-
ミュンヘンからベルリンへの移動には,(上)にも書いたとおり,飛行機ではなくICEを使った。なんせミュンヘンのホテルは中央駅前。徒歩数分でICEに乗車することができ,乗ってしまえば,あとはベルリンまで連れて行ってくれる。今回はダイヤの関係で8時間かかってしまったが,中で本を読んだり書き物をしたりしていると,あっという間に着いてしまうという感じである。
ICEはベルリン中央駅に到着する。当たり前のことを,と思われるかも知れないが,ベルリン中央駅が出来たのは2006年と,まだ10年ちょっとしか経っていない。私が初めてベルリンを訪れたのは,2002年で,その頃は,まだ中央駅は存在していなかったのである。ドイツは東西に分かれていたが,都市としてのベルリンは東ドイツ側にありつつ,その都市自体が東西に「壁」で分断されていた。その壁が崩壊したのが1989年。そして,翌年に東西ドイツは統一され,ベルリンが首都となった。それまでは,西ベルリンのターミナルは「動物園駅(Bahnhof Zoologischer garten)」であり,東ベルリンのターミナルは「東駅(Ostbahnhof)」であった。2006年のワールドカップに間に合わせるため,かなり無理矢理作ったというのが実態のようである。エキナカには,スーパー,土産物店,数多くのレストランなどがあって,大方の旅行用品はここでまかなうことが出来る。特にスーパーには,小型のシャンプーやハンドクリームなどがあるので,わざわざ日本から持って来るまでもない。
ホームは地下と3階にあり,ミュンヘンからのICEは,地下ホームに到着する。そこからエスカレーターを乗り継いで,とりあえず2階まで上がり,そこから市内電車(Sバーン)のホームに移動して,ホテルに最も近い動物園駅まで移動する。途中,戦勝記念塔,ティアガルテンなどが見えると,ベルリンに帰ってきたなぁと感じる。
(写真:ベルリン中央駅地下ホームに到着したICE)
(写真:ベルリンの戦勝記念塔)
(写真:動物園駅)
二 馴染みの宿
初めてベルリンを訪れたとき(2002年)は,航空券・ホテル・オペラのチケット等を全て音楽旅行専門の業者さんにお任せした関係で,ホテルは,ベルリン州立歌劇場(リンデン・オパー)に最も近い,ジャンダルメン広場そばのヒルトン・ホテルだった。その後は自分で手配するようになり,2015年以降は,動物園駅近くにある同じホテル(Azimut)に泊まっている。
このホテルに泊まるようになったきっかけは,2011年から使い続けてきたホテルが値上がりしてしまったこと。そのホテルは鉄道駅から遠く,バスで最寄り駅まで移動しなければならないというのもネックになっていた。そこで色々探したら,動物園駅の近くに見つかったという次第。このホテルは古くかつ堅牢な躯体の建物をリノベーションしているので,繁華街に近い割りにはとても静かである。初めて宿泊したときには,長期滞在と言うことで,半地下のような部屋を用意して貰ったのだが,これがまた良かった。
ただ,このときはちょっとしたドタバタ劇があった。その半地下の部屋は,ホテルのフロントから階段室を通っていくのだが,その階段室にも鍵がある。ホテルで部屋の鍵を受け取って,その階段室を抜けて,もう一つの扉を開けて行こうとしたら,ドアが開かない。そこでフロントに戻ろうとしたら,今抜けてきた扉が開かない。閉じ込められたかと思い,慌ててホテルのフロントに電話をかけて,下手な英語で状況を説明したら,直ぐに来てくれた。何のことはない,ルームキーで階段室の扉も解錠出来たのだ。このときのフロントマンは今も在籍していて,ホテルに着くと,「お帰りなさい」と迎えてくれる。
ホテルを出て徒歩2~3分で動物園駅,そして,徒歩1分でクーダム(旧西ベルリンの繁華街。略称で,正式にはKurfurstendammだが,こんな長ったらしい名前で呼ばれることは少ない)だから,非常に便利である。ホテルのフロントスタッフは交代で常駐しているが,3~4名はずっと変わらない。大体,駅前ホテルはみな1~2泊がせいぜいなところ,10泊近くする日本人は珍しいと見えて,直ぐに覚えられた。こういう拠点があると,旅は実に快適である。
(写真:ホテルの朝食ルームからクーダムを見下ろす)
三 3つのオペラハウスと2つの動物園
1 3つのオペラハウス
ベルリンには3つのオペラハウスがある。旧東ベルリン側にある州立歌劇場(場所の名称であるウンター・デン・リンデン(菩提樹の下))にちなんで,リンデン・オパーの愛称で呼ばれている)とコーミッシェ・オパー,旧西ベルリン側にあるベルリン・ドイツ・オペラである。これは言うまでもなく,ベルリンが東西に分裂していたことの名残で,統一後もそのまま残されているのである。コーミッシェ・オパーはオペラの他にミュージカルも上演しているが,他の2つは「かぶっている」とも言える。しかし,それぞれの劇場が,個性を発揮して,企画で競演しているため,聴衆である自分としては,このまま両立を続けて欲しいと考えている。
州立歌劇場は,ダニエル・バレンボイムが長く監督の地位にあり,復活祭の時期に合わせたフェストターゲで,毎年厚みのあるプログラムを聴かせてくれる。2年程前まで劇場の改修工事のため,西側にあるシラー劇場(ここは本来は演劇の劇場である)を使って上演してきたが,ここは小さめでどの席でも見やすく,自分としては結構気に入っていた。しかもホテルのある動物園駅から地下鉄で一駅で行ける,という立地だったし。2年程前にようやくリンデン・オパーの改装工事が完了し,今は本拠地に戻っている。
ベルリン・ドイツ・オペラは,東西ベルリンの分断で,歌劇場がなくなってしまった西ベルリン側に作られたオペラハウスである。建物は現代的で,東京の新国立劇場にちょっと似ている。ここの劇場の特徴は,企画が充実していることと値段が安いこと,そして安い席から見やすいと言うことである。一人の作曲家を集中的に取り上げるシリーズをやることがあり,私は,これまでもワーグナー(トリスタンとイゾルデ,マイスタージンガー,バルジファル,ローエングリン),リヒャルト・シュトラウス(サロメ,エレクトラ,ダナエの愛,エジプトのヘレナ,ばらの騎士),プッチーニ(トスカ,西部の娘)で,その恩恵に与ってきた。
コーミッシェ・オパーは,先にも書いたように,やや芸風が異なり,ミュージカルなども上演される。しかし,決してレベルが低いと言うことではなく,むしろ尖りまくった演出家(バリー・コスキー)が監督であることから,実に色彩豊かな面白い舞台を楽しませてくれる。そして,コーミッシェ・オパーは,かつて,キリル・ペトレンコがシェフを務めていたこともあり,実力者の登竜門のような位置づけになっている感じがある。
今回は,州立歌劇場は日程に合う演目がなく,ベルリン・ドイツ・オペラとコーミッシェ・オパーの2つの劇場を訪問した。
(写真:コーミッシェ・オーパーのホワイエで)
(写真:ベルリン・ドイツ・オペラのホワイエで)
2 2つの動物園
これまでに何度か出てきた「動物園駅」というのは,文字通りベルリンの動物園前にある。感覚とすると上野駅のようなもの。こちらの動物園の正式名称は「Zoologischer garten」であるが,「ツォー」の愛称で呼ばれることが多い。西ベルリン時代のターミナルだったこともあり,駅前にはオイローパ・センターという駅ビルの走りのような建物もある。ベルリンの動物園というと,多くはこちらを指し,観光客もこちらに多く足を運ぶ。2007年に,ホッキョクグマの赤ちゃんが産まれ,お母さんが育児放棄してしまったため人間が面倒を見たことがあった(名前はクヌート)。日本でも,とべ動物園で同じく育児放棄されたホッキョクグマの赤ちゃんを飼育員さんが育てている(名前はピース)。クヌートは,残念ながら2011年3月20日に亡くなった。その前日,元気な姿を動物園で見ただけに,ニュースで知った時にはショックだった。どうも痙攣を起こして溺死したようだ。実は,とべ動物園のピースも痙攣癖をもっていて,一度プールで溺れかけて,飼育員さんに危うく助けられたことがあった。クヌートの方は,親代わりの飼育員さんが亡くなっていたり,既にかなり大きくなっていたこともあって,助けられなかったようだ。
ベルリンのもう一つの動物園は,言うまでもなく,旧東側にある。こちらは「Tierpark Berlin」という名称。動物園は東西分断で東側に動物園がなくなってしまったので,急遽,東側が威信をかけて作ったもの。これまでは,一度も足を運んだことはなかったのだが,ここでもホッキョクグマの赤ちゃんが誕生した(育児放棄はなし)というので,見に行くことにした。行ってみたら,ともかく広い。むやみやたらと広い(笑)。しかも,中心部からは結構離れている。まぁ東ベルリンを基準としたら,かなり近いのだが。こちらの赤ちゃんには,HELTAという名前がついていた。これは,ベルリンのサッカーチームの名前。細貝,原口が在籍していたこともある。今年(2020年)には,パンダの赤ちゃんも見られるようになったらしい。昨年は,とても全部は回れなかったので,次回は全部見てみたいと思っている。
(写真:ベルリン動物園(ツォー))
(写真:ティアパークベルリンのスター「ヘルタちゃん」)
(写真:ヘルタちゃんとお母さん)
四 公演を振り返る
ベルリンには,いわずとしれたベルリン・フィルの他にも,ベルリン・ドイツ交響楽団,ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団,ベルリン放送交響楽団,ベルリン交響楽団というオケがある。この他にも3つのオペラハウスのオケがコンサートを行うこともある。これらのオーケストラが,ベルリン・フィルの本拠地であるフィルハーモニーと,コンツェルトハウス管弦楽団の本拠地であるコンツェルトハウスで演奏会をやるから,オケを聴く機会には恵まれている。
ただし,復活祭の時期には,ベルリン・フィルは,別都市で行われる音楽祭に出演するためにいなくなってしまうため,巡り合わせが悪いと聴くことが出来ない。反面,バレンボイムが中核となって企画しているフェストターゲには,手兵のベルリン州立歌劇場管弦楽団のほか,ウィーン・フィルも招かれるので,そちらを聴くことも出来る。ただ,2019年は,巡り合わせが悪い年にあたり,オーケストラコンサートを聴くことは出来なかった。
結局,全てオペラとミュージカルで,コーミッシェ・オパーで,レナード・バーンスタイン「キャンディード」とプッチーニ「ラ・ボエーム」,ベルリン・ドイツ・オペラでワーグナー「リエンツィ」と,モーツァルト「魔笛」,そして,ツェムリンスキー「こびと」という組立てになった。
1 キャンディード(4月3日:コーミッシェ・オパー)
バーンスタイン作曲のミュージカルだが,オペラとさほど変わりはない。演奏会では,よく,この作品の序曲が演奏されることもある。いかにもバーンスタインらしい,色んな引き出しからの音楽が飛び出してくる。
歌手陣には,なんとフランツ・ハヴラタとフォン・オッターが。ハヴラタは,初めてウィーンに行ったとき,トーンキュンストラー管弦楽団の演奏会で聴いた歌手。そして2011年4月に,震災直後,新国立劇場のばらの騎士にやってきて,オックスを歌ってくれた歌手。今回は歌ではなく語りだったが,非常に深みのある声だった。オッターは老婦人という役で,とても味わいのある歌声を聴かせてくれた。動きも切れが良く,ミュージカルの役者と何らかわりない。素晴らしかった。合唱も,賛美歌のような響き,ジャズのコーラスのようなフレーズ,色んなものが聞こえてきた。
演出はバリー・コスキー。曲が曲だけにとても色彩豊かで,良い意味でハチャメチャな演出で,ぴったりだった。ただし,このノリで,バイエルン州立歌劇場の,オットーシェンクの後継のばらの騎士を作るとしたら,それは勘弁して欲しいと思っている。
(写真:コーミッシェ・オパーのキャンディード)
2 ラ・ボエーム(4月4日:コーミッシェ・オパー)
まあ何の変哲も無い通常公演だろうなと思っていたら,とんでもなかった。やはりバリー・コスキーの印象深い演出。屋根裏部屋という設定なので,いきなり舞台が開いて,下から人が登場することから始まる。ミミも階下から屋根裏部屋に上がってくる。このミミを歌ったヘザー・エンゲプレットソンが実に良い。歌声もだが,ちょっと小っちゃくて。歌声も凛としている。つい感情移入しそう。第1幕・第2幕をほぼアタッカで音楽を続けて演奏された。ロドルフォとミミが静かに去って行くやいなや,第2幕が始まり大変な賑わい。この辺りはうまいと感じた。
(写真:コーミッシェ・オパーのラ・ボエーム)
3 リエンツィ(4月5日:ベルリン・ドイツ・オペラ)
ワーグナーの初期の作品の「リエンツィ 最後の護民官」。普段あまり演されることがないのだが,今回はたまたまあたった。しかもタイトルロールは,2月に新国立劇場でタンホイザーを歌ったトルステン・ケール。自分にとっての目玉の1つだった。リエンツィは,ヨーロッパ遠征で初めて見たオペラ。98年にウィーン国立歌劇場初見参がこの演目だった。プレミエはメータが振ったが,その後は国立歌劇場合唱団の指揮者が本公演も振っていた。
今回のリエンツィは映像としても発売されていて,来る前にちょいと予習をしておいた。これがよかった。ケールは始まる前に「調子が悪い」と告知があったようだが,初代のタンホイザーより良かったような気もする(笑)。
そして,この演目は何と言っても合唱。ずっと合唱劇のようなオペラであるから,合唱がダメだと魅力半減。その意味でとても良かった。演出は現代のイタリアに読み替えたもの。ホリゾントにプロパガンダ映画みたいなものを映したり,なかなか面白かった。
4 魔笛(4月6日:ベルリン・ドイツ・オペラ)
ここの魔笛(ギュンター・クレーマー演出)は1991年プレミエ。2002年に初めて見て,その後数回見ているが,全く飽きない。今日は音楽監督のランニクルスが振る予定になっていたが,指揮者は若い人に交代していた。歌手陣も若手が中心。そんな中,ザラストロのトビアス・ケーラーが素晴らしい。後から見てみたら,去年ドミンゴ指揮のバイロイトのワルキューレに出ていた。こういう人が通常公演にさっとでてくるのだから…。
そして,この魔笛は特にお子さんや青年層のお客さんがとても多い。劇場側も「家族向け」ということで売り込んでいる。おそらく,魔笛でオペラデビューをする,というのが定着しているのだろう。高校生ぐらいでセミフォーマルを決めてきたり,小さい女の子が着飾ってきていたりするのを見ると,非常に微笑ましく感じる。そして,その若いお客さん達,休憩中に飲んでいたグラスを客席に持ち込んでしまったり,といううっかりもあるのだが,奥の席の人が来ると,さっと立ってなかに通してあげているのである。これもいいなぁと感じた。グラスの持込みはうっかりだから,分かればもうやらない。しかし,奥の人が来ても,何も感じないで石像のように座ったままでいるというのは,もうどうしようもないのだ。これが東京文化会館,サントリーホール,新国立劇場の日常なのである(溜息)。
5 こびと(4月7日:ベルリン・ドイツ・オペラ)
ツェムリンスキーのあまり上演されない作品。こびとが野原で遊んでいると,スペイン王家の廷臣たちに捕われ,王女の12歳の誕生日のプレゼントとして,スペイン宮廷に連れて行かれる。こびとは姫君にきれいな衣裳を着せられ,得意になって踊って見せるが,周りが嗤っていることに気付かない。そのうち姿見で自分の真の姿を映し出しているという現実を悟るや,そのまま悶死してしまうという話。「こびと」の役を,ミゼットの黙役の人と,歌手が両方で演じる。途中両者が相手の姿(要するに自分)を見てしまい,現実の自分(黙役)と,その中身が戦い出す場面をリアルに再現した。100分ほどで休憩なしだったが,実に興味深かった。この演目が今回の滞在最後で,帰国後,新国立劇場で最初に見たのが,同じツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」だったのも何かの縁だろう。
五 ハンブルク・ライプツィヒへの小旅行
ミュンヘンに泊まっていたときも地方都市に日帰りの小旅行に出かけたが,ベルリンからもいくつかの都市に小旅行に出かけた。
1 ハンブルク(4月2日)
ハンブルクは,まるで横浜のような港町である。ただし,ハンブルクが面しているのは海ではなく,エルベ川。それがまるで海のように広い。(上)でも触れた,エルブフィルハーモニーなどは,丁度,横浜のみなとみらいにあるグランドインターコンチネンタルホテルのような佇まいである。
ベルリンから,ICEで2時間弱。途中の停車駅は1つだったので,指定は取らずに行ったが,特に問題は無かった。ハンブルクについて市内交通の一日乗車券を購入し,まずは地下鉄で,あとはハンブルクまでゆっくり。PCを出して書き物をする。11時30分頃,ハンブルク中央駅に到着。Uバーンの入口に行き,一日乗車券(午前9時以降使用可能)を購入。Uバーンで市役所に向かう。市役所前の広場に出たが,とても穏やかな良い天気。気持ちが良い。そろそろ昼なので,ラーツケラーへ。ハンブルクに来たらここ,と決めている。料理は「ラーツケラーにハズレ無し」の通りだし,盛り付けもとても美しい。
ターゲスメニューを見ると,チキンカレーライスもあったが,牛肉のブラーテンがあったのでそちらを選択。飲み物はヴァイス500。
供された料理が実に素晴らしかった。私のは分厚いローストビーフにポメスが添えられ,付け合わせはコールスローサラダ。このローストビーフが絶品だった。ゆったりと食べて飲んで大満足。次にUバーンでBaumwallまで来て下車。ここがエルプフィルハーモニーの最寄り駅である。行って見ると人はあまり居ない。昨年と同様,整理券を無料で受けとって入場する。上層階に人がたまりすぎることを防ぐために整理券方式を採っているが,こうやって行き当たりばったりで来た人にも,混んでいなければ整理券を無料で発行してくれる。地球の歩き方には一律有料(2ユーロ)になったかの如き説明があるが,有料なのは事前にインターネットで入場予約をする場合のみである。
それにしても,ここのホールでの演奏会。演目の如何を問わず,瞬殺完売。要するにホールが観光地化していて,「ホール見たさにチケットを買う客」がいるため,異常事態が続いているとのこと。ヴァントが生きていたら「私はホール見たさで押しよせる客のために,ブルックナー(もちろんハース版)を演奏しているわけではないっ」と,スープ皿が浮いて中身が飛ぶくらい,テーブルを叩いて怒るのではなかろうか。いずれにしても,この状態が落ち着かない限り,ハンブルクは長期滞在先としては選択しにくい。
下に降りて,エルブフィルハーモニーの前にある法律事務所の写真を撮り,倉庫街にある,コーヒー焙煎所がやっているカフェへ。ここも例年に比べると空いている。日替わりで,今日はエチオピアの豆のコーヒー。マジパンを使ったトルテを1つ頼み,二人で分ける。コーヒーはちょっと酸味があって美味しかった。トルテはクリームが凄い(笑)。濃厚そのもの。ゆったりと休憩をして,エルブフィルハーモニーの近くから111番のバスに乗り,フィッシュマルクトまで行ってみた。といっても,要するに豊洲の場内市場に夕方近くに行ったのと変わらず,マルクトはやっていない。ちなみに一般の客を相手にするマルクトは日曜日の早朝に開催されていて,その時は凄いらしい。それでも,我々のような老夫婦が来て写真を撮っていた。反対方面に行く111番のバスに乗り,有名なレーパーバーンを車窓から眺め,Baumwallで下車。そこでU3に乗り換えて中央駅まで行く。丁度16時35分発のICEがあったので,乗車。帰りも指定無しで何とか座れた。車内で日記を書く。
ICEは18時30分にベルリン中央駅に到着。2時間ほどの鉄道旅だった。昨日は8時間乗ったが,ICEは2等車でも座席が広く,Wi-Fiが使えて,コンセントもあるため,仕事も出来るし言うこと無しである。
(写真:ハンブルク中央駅)
(写真:ハンブルク市役所の食堂)
(写真:ハンブルクのエルプフィルハーモニー)
(写真:エルプフィルハーモニーのテラスからエルベ川を眺める)
2 ライプツィヒ(4月4日)
8時前にホテルを出てZoo駅からSバーンに乗って中央駅へ。地下ホームに降りて,ミュンヘン行きのICEに乗車してライプツィヒまで小旅行。1時間程度の乗車のため指定券は取らず。ICEの新型車両で非常に快適だった。9時50分頃ライプツィヒ中央駅到着。街の中心部に向かう。とても良い天気。
まず,ミヒャエル教会。ここは東西ドイツ統一の前に,集会が開かれていた教会。
それから,更に中心部に行き,聖トーマス教会。バッハ好きの人にとっては「聖地」だろう。そこに結構気軽に来ている。中に入ると,予想通り,オルガンの試奏。10時頃からここではオルガンの試奏が行われることが多く,これまで毎回聴くことが出来ている。また,時にはオケの練習が行われることもある。10分ほど聴いて,少し多めに献金。表に出て,バッハ像の前で写真を撮る。
昼食は,聖トーマス教会の右側の銀行の脇の道を入ったところにある,ツィルス・テュネルという店へ。ここもライプツィヒに来たら立ち寄る。ハムステーキにクヌーデルとザウワークラウト添え。そこにヴァイス500。実に美味。デザートにGOTTERSPISEと書かれていて,神々のなんとか,が出てくるのかと思ったら,ゼリーだった。
少しあたりを散策してから,カフェカンドラーへ。バッハトルテ,コーヒー。ゆったりと休んで,あちこち引っかかりながら駅に向かう。14時過ぎのICEに乗車。帰りも新型車両だった。16時過ぎにはホテルに戻り,仮眠をとる。
(写真:ライプツィヒ聖トーマス教会)
(写真:聖トーマス教会のバッハ像)
(写真:ライプツィヒのカフェにあるバッハトルテ)
(写真:ライプツィヒのレストランでの昼食)
…こんな風につらつらと書き出したら(実際にはSNSへの投稿等を編纂しているのだが),またまた長くなった。ということで,今回は(下)ではなく(中)として,今度は間を開けずに,更に続く(笑)。