新型コロナウイルス感染症対策による減収と賃料減額の法律構成(植木琢弁護士)
1 はじめに
前回、「新型コロナウイルス感染症対策下での賃料減額請求の問題点」のなかで、借地借家法32条による賃料減額請求はハードルが高いことをご説明しました。今回は、借地借家法32条以外の法律構成について検討したいと思います。
2 民法611条による減額
まず考えられるのは、民法611条に基づき賃料の減額を主張することです。実は、この民法611条という条文は、今般の民法改正でかなり議論のあった条文です(この議論について興味のある方は、本改正に関する法制審議会の民法(債権関係)部会の議事録などを読んでみて下さい)。
旧民法611条1項は、「賃借物の一部が賃借人の過失によらないで滅失したときは、賃借人は、その滅失した部分の割合に応じて、賃料の減額を請求することができる。」と規定していました。それが、本年4月1日施行の民法では、「賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合において、それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、賃料は、その使用及び収益をすることができなくなった部分の割合に応じて、減額される(下線は筆者)」となりました。
大きく変わった点は2点です。一つ目は、賃料減額の要件として、賃借物の一部滅失以外に、「その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合」を加えたことです。二つ目は、旧民法では、賃借人による「賃料減額」の請求を待って減額の効力が発生する立て付けになっていましたが,新民法では、賃借物の一部が使用及び収益できない状態になっていれば、賃借人の請求がなくとも当然減額の効果が生じることになりました。これは、いわゆる危険負担の債務者主義の原則と整合する改正です。
今回のコロナ問題で注目すべきなのは、前者、すなわち、「滅失以外の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合」でも賃料減額が可能になったという点です。それは、文言だけを見ると、緊急事態宣言の発令によりやむなく営業を自粛したのだから、滅失以外の「その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合」に該当するように見えるのです。
3 「その他の事由」とは何を意味するか
問題は、「その他の事由」に具体的にどのようなケースが含まれるのか、という点でしょう。日本弁護士連合会編「実務解説 改正債権法」(弘文堂)の439頁には、「滅失以外のその他の事由に具体的にどのような事由が含まれるのかについては、解釈に委ねられている」と書かれています。大地震などの不可抗力によってインフラが使えなくなり、物理的には店は使えるけれど、そこで満足に営業することができなくなったような場合には、611条1項の「その他の事由」に該当するものと思われます(旧法時代のものですが、地震により上下水道、ガスが使用できなかった期間の賃料についき、536条1項を類推適用して賃料の減額を認めた裁判例があります。*1)。
民法改正の議論の中では、賃料減額を広く認めると、賃貸人に不測の被害を及ぼす危険性があるとの意見もありました。今回のコロナ問題でいえば、「緊急事態宣言のせいで売り上げが9割減ったのだから、賃料も9割減額せよ!」という主張が通るのであれば、今度は貸主の生活に深刻な影響が出てくることになります。個人的には、「その他の事由」に該当するかどうかは、一部滅失と同視できる程度に、物理的、法律的に建物の効用が失われた場合を指すと狭く解すべきと考えますが、今後の判例の蓄積を待つほかありません。今回の緊急事態宣言の発令による営業自粛要請は、あくまで要請であって、罰則などの強制力を伴うものではありませんから、「営業自粛」が、建物の一部滅失による使用収益不可と同視できるかどうかは微妙なところです。今回の営業自粛が、震災によりインフラが寸断され十分な営業ができなくなったような場合と同視できるかどうかが判断のポイントではないかと思います。
なお、611条1項は、「建物の一部滅失」のケースを想定していますので、店を完全に閉めてしまっているケースでは、法律的には536条で定める危険負担の射程に入ります。この場合、貸主の「建物を借主に使用収益させる義務」が履行不能で消滅していることが前提となりますが、そのように考えられるかどうかどうかは微妙なところです。例えば、建物のある地区が放射能汚染により立ち入り禁止区域に指定されたような場合であれば、貸主の「貸す債務」が履行不能となることにより、借主の「賃料債務」も消滅するということができると思いますが、そのような場合と今回の「営業自粛」とを同列に扱うのは難しいように思います。
4 事情変更の原則と民法609条による賃料減額請求
民法609条は、「耕作又は牧畜を目的とする土地の賃借人は、不可効力によって賃料よりも少ない収益を得たときは、その収益の額に至るまで、賃料の減額を請求することができる。」と規定しています。
この条文は、「耕作又は牧畜を目的とする土地の賃借」を対象にしていますので、文言上は、「営業収入の減少による建物の賃料減額」には直接結び付きません。しかし、凶作の年に事情変更として小作料の減額を認めた法の趣旨は、「未知のウイルスのまん延という異常事態が起きた場合に、事情変更として建物の賃料を減額する」という枠組みに適合的であると思います。少なくとも、いきなり「事情変更の原則」という一般法理を用いるよりも、民法609条の類推適用としたほうが法的に受け入れやすいように思います。
5 おわりに
5月4日に、緊急事態宣言の延長が正式に決定されました。安倍総理は同日の記者会見で、飲食店などの家賃負担の軽減策について、「与党の検討を踏まえて、速やかに対策を講じると明言した」という報道がありました。
これまで見てきたように、コロナ問題で賃料減額をすることは、法律的にはいろいろなハードルがあります。今回の緊急事態宣言による営業自粛による減収は、震災などと異なり、全国的に、いわば国民一人一人に等しく発生している問題です。このような問題の解決を、建物の貸主、借主という個別の契約当事者による法的解決に委ねることは、最終的に貸主・借主のどちらかが減収のリスクを負担することになり、問題の根本的な解決にはなりません。やはり、新型コロナウイルスによる賃料減額問題は、政府による迅速な家賃支援政策によって解決すべき問題であると思います。
*1 神戸地判H10・9・24(LLI/DB判例秘書L05350680)
本件は、原告らが、阪神淡路大震災により、内装等の損傷、上下水道、ガスが使用不能であることを理由に、民法(旧民法。以下同じ)611条の適用又は536条1項の類推適用により賃料が減額されているとして既払い賃料等の不当利得返還を求めた事案である。
原告らは、①建物賃貸借契約において、当事者双方の責に帰さない事由によって賃貸建物が損壊し修繕が必要になったのにその修繕ができない場合は、賃貸人の契約に従った建物の提供という債務の一部不能であり、民法611条に基づき、反対給付である賃料等債務も賃借人の減額請求によって減額され、賃借人が減額請求を行えば、その減額請求の効果は、建物が損壊したときまで遡る、②仮に、賃貸建物の一部が滅失していない場合には民法611条は適用されず、また、減額請求の効果が遡及しないとしても、建物賃貸借契約において、当事者双方の責に帰さない事由によって賃貸建物が損壊し修繕が必要になったのにその修繕ができない場合は、賃貸人の契約に従った建物の提供という債務の一部不能であり、民法536条1項を類推適用して反対給付である賃料等債務も当然に減額されるべきである、と主張した。
裁判所は、本件のように賃借物件が何ら滅失していない場合には、611条が「当然適用されるとは解し難い」として、同条の適用を否定した。しかし、「賃貸借契約は、賃料の支払と賃借物件の使用収益とを対価関係とするものであり、賃借物件が滅失に至らなくても、客観的にみてその使用収益が一部ないし全部できなくなったときは、公平の原則により双務契約上の危険負担に関する一般原則である民法536条1項を類推適用して、当該使用不能状態が発生したときから賃料の支払義務を免れると解するのが相当である。」と判示した。
その結果、裁判所は、上下水道及びガスが使用できなかった期間について、その復旧の時期に応じて、5~7割の賃料減額を認めた。なお、裁判所は、原告らが主張していた内装等の損傷については、「内装等の損傷は、いずれもそれ自体として直ちに本件各物件における日常生活を困難にする程度のものとは認められない」と判示し、賃料減額の要素として考慮しなかった。
改正後の民法で考えれば、536条1項の類推適用ではなく、611条が適用されることになると思われる。また、本件は居住用建物の事案であったが、営業用建物の場合は、営業の種類によって賃料の減額の幅が増減するものと思われる。